あなたの仕事にプレゼンは含まれるか?
プレゼンテーションを嫌いな人って多くないですか?
日本の中でも群を抜くドメスティック企業に勤めている自分だけの感覚かも知れないが、社員のほぼ90%はプレゼンが嫌い。
嫌いというか、下手。
プレゼンって、自分でできる最も手軽なプロモーションだと思うのですよ。
あるいはスティーブ・ジョブスや孫正義の例を挙げるまでもなく、しかるべき人物がしかるべき舞台とタイミングで、しかるべき内容で行えば、テレビCMを凌ぐほどのプロモーションにもなりうるのは、もはや常識と言えるんではないかと。
それなのに、なぜ真剣にプレゼンに取り組まないのか?
理由をいくつか考えてみた。
- 意味が無いと思っているから
- 人前で話すのが苦手だから
- 自分の役目じゃないから
1はもういいですよね、論破ってことで。
2はまあ、分からなくはない。誰だって人前に出て話をするのは緊張するし、緊張はストレスを生むので、負担になる。しかしこれは訓練しだいでどうにでもなるし、よほど何らかの病気でも抱えていない限りは何とかなる(たぶん)。
それでもできない、やりたくない、と言うのなら、少なくともプロデューサーは向いていないであろう。辞めた方がいい。プログラムが書けないエンジニアと大差ない。
一番よく聞くのは3かも知れない。
だいたい、みな口を揃えて言う。
「プレゼンなんかする機会ないから」
あなたの仕事、そんな感じ?
あなたが何かのサービスのエンジニアだったとして、それはまあ一見そう思える。
まさかいきなりジョブズのように社運を賭けたプロダクトのプレゼンを、数百人の記者と世界中のファンが見守る中でやらされることはないだろう。
あるいは自分のサービスの周囲への売り込みはプロデューサーや営業担当がやってくれるだろう。あなたが手を下すことはない。
しかし、プレゼンとはそれだけだろうか?
我々の愛するWikipediaにはこう書いてある。
プレゼンテーション (英語: presentation) とは、情報伝達手段の一種で、聴衆に対して情報を提示し、理解・納得を得る行為を指す。略してプレゼンとも呼称される。
これによると、広義に捉えるならば誰かに対して情報を示し、理解・納得を得る行為はすべからくプレゼンと言える。
例えば、エンジニア間で作業進捗の共有の打合せをするとしても、当然だがそこにはほかのエンジニアが理解できる進捗の報告書を持って行き、現在の状況が理解されるよう話をするはずである。
プレゼンだろ?
本当にこの業界には、PCと向い合っていない時以外は仕事でないと思っているのか、「打合せ」や「会議」と称して人の体力と気力を無尽蔵に奪い合う儀式が多い。
- 目的が示されずスタート
- 配られる、大量の紙
- インクの無駄遣いのように記された大量の小さな文字
- 配られた資料の朗読会(一字一句漏らさず)
- 朗読会が終わったら時間いっぱいなので解散
- 示されない課題と宿題
という儀式は、誰しもが経験したことがあるはずだ。しかも、ほぼ毎日。
この儀式をプレゼンだと意識して執り行ってみたらどうなるだろうか?
- 冒頭で示される目的
- キーポイントだけ記されたシンプルな資料
- キーポイントの補足だけがコンパクトに説明される
- 最後に結論、あるいは課題が示される
少なくとも、先ほどの儀式よりは気力が奪われることはなさそうだ。
自分の仕事にプレゼンが含まれていないと思う人は、まず儀式の改善に努めてみてはいかがだろうか?
そしていつの間にか(いわゆる)プレゼンの話ではなく、クソ会議の愚痴になった!!
プレゼンについては、また次回。
WEBプロデューサーという仕事
クソ長い回想(駄文)を書き終わったので、ようやく本題が書けるようになった。重畳。
とりあえず、自分の能力は棚に上げておいて語る(当ブログの大前提であり、これが崩れることはない)と、自分の職種は「WEBプロデューサー」というものに類するはずであり、この職種の果たす役割は何なのかを再度考えてみることにした。
プロデューサーの仕事を定義する前にその他の横文字の役柄の定義を確認してみる。
ディレクター
これは分かる。ディレクションする人だ。
文字通り「監督・管理する人」でいい。その通り、ディレクターは仕様に基づいたプロダクトが出来上がるよう、デザイナーやエンジニアなどに指示を出し、制作中は進捗やクオリティをチェックする。また、そもそも仕様書を書いたりもする。
あとはサービスインして以降の運用も彼らの仕事になる。
日々数値を管理し、問題が起きていないかを確認し、何かあればプロデューサーに報告するとともに、エンジニアと調整も行う。まさにサービス運用の主役だ。
デザイナー
これも分かる。デザインする人だ。
昨今は細分化されていて、クリエイティブを作る人、UIをデザインする人、会社によってはコーディングをする人もここに入る。個人的にはJSエンジニアなんかもUIにとってクリティカルなので、デザイナーと定義したい。
基本的にはディレクターの指示に基づいて、サービスのフロント部分をデザインするのが仕事になる。
ただし最近は「UXデザイナー」なんていうカッコいいカテゴリの人もおり、羨ましい。ただし基本は一緒で、「ユーザーが触れるところに責任を持つ」のがデザイナーの仕事。
エンジニア
これも分かるぞ。エンジニアリングをする人だ。
サービスは大抵なんらかのプログラムやDBを利用して作られているわけで、彼らは仕様書に基づいて要求された仕様を満たす動きをするサービスを作るのが仕事だ。また、開発の管理を行うPMなんかもここに入るんではないかと。
他にもプロモーションを行うメンバーや営業担当、コンテンツを作るライターなどもろもろ役割が決まっている人がいて、ひとつのサービスが作られることになる。
ということでプロデューサーの仕事は、前述された人たちの仕事ではない部分にあるに違いないと言うことになる。
プロデューサーの仕事
前述したいくつかの役割とまったく異なるのは、プロデューサーは、自身で「サービスの本質」を決めなければならないという点にある。
ディレクターが運用を行うにしても、デザイナーがデザインを行うにしても、宣伝担当がプロモーションを行うにしても、そのサービスがどんなサービスで、何を目的にしているかの指針がなければ妥当な作業を行うことは出来ない。
皆さんも経験しているように、ユーザーサポートを行うサービスなのにディレクターがユーザーからの問い合わせを無視していたり、先進的なテクノロジーを売りにしたサービスなのに懐古的なデザインのページだったり(それはそれでアリか?)、若者向けなのに新聞にだけ広告出稿をしたりなどといった的外れな作業が往々にして行われる。
それらは各担当者の能力不足ではなく(むしろ、能力があるから余計なことが行われたりもしてタチが悪い)、プロデューサーがそのサービスの「本質」を伝えられていないことに起因する。
プロデューサーはサービスの本質を決定し、それを各担当者に指針として示すのが仕事なのである。
もちろん、会社であればマネージメント層から求められて、あまり乗り気になれないサービスを作らされることもあるだろうし、既に失敗したことが判明している年老いたサービスのプロデューサーにさせられることもある。
そんな時でも少ない希望の中からサービスの本質を見出し、担当者に指針を示さなければならないわけで、プロデューサーに必要なのは演技力だったりするかも知れない!
本質とは
自分が世界役に立たない学問不動の一位の哲学畑の人間なので、「本質」という言葉をよく使うのであるが、要は
そのサービスがどんな価値を生み出すべきか
という一点に尽きるかと思う。
さらに言うと
「誰に」「どこで」「どのように」
といったところを加えると、だいたいそのサービスの概要が形作られる。
当たり前のように聞こえるが、サービスはこれらが定義されて初めてサービス足りうるものであり、誰にも価値を与えないサービス(我々で言えばサイト・コンテンツやアプリ)は全くもって存在価値がない、そびえ立つクソ以外の何物でもない。
企画書を作ろう
であるからして、サービスの本質とそれを補完する情報を揃えてみると、だいたいそれが企画書になる。プロデューサーにとって最初にとりかかる仕事は、企画書をつくり上げることだ。
企画書と言っても、よく想像するような
- 市場の状況
- 競合の状況
- 当社の強み
- PVやUUの成長予測
- ...etc
のようなカビ臭い教科書に載っている項目を並べる必要はまったくない。
もちろん、会社や組織によっては上記のような項目を含むフォーマットが決まっていて、しっかりとした稟議を経なければ企画書自体が世に出ない、という会社もあろう。それはそれで、サラリーマンとしては対応はしなければならない。悲しいことに。本当に悲しいことに。
個人的には、ここで言いたい「企画書」は「コンセプトシート」に近いようなもので、そのサービスの生み出す価値が描かれていれば十分だと考える。
例えば、某メッセンジャーサービスについて。
市場:スマートフォンユーザーは拡大中
競合:既に大手企業は独自のメッセンジャーを展開しており、ユーザーも多数
強み:「まとめ」で得たユーザーが多数。でも関係ないかも。
成長予測:他社のシェアをちょっと奪います
...etc
と書かれた企画書と、
「スタンプ」を使って気軽に気分をやりとりできるメッセンジャー!
グループ機能も充実して、メールが中心のコミュニケーションを革新!
電話帳と同期してフレンドを接続するから、ユーザー数爆発!
ポップなキャラと雰囲気で、若年層にバカウケ!
って書かれた企画書、どっちが惹かれます?って話である。
もちろん前者もビジネス的には必要なので、付ければよろしい。でも「付ければよろしい」ってだけの話なので、まったく企画の本質そのものではない。
作らなければいけないからと言って、前者だけを作ってマネージャーにハンコをもらい、ディレクターに仕様書づくりを指示している場面を見ると、なんとも言えない、酸っぱい気持ちが胸にいっぱいに広がる。
プロデューサーの仕事は各担当者に本質を伝え、指針を与えることなのだから、彼らの胸に酸っぱい気持ちを広げている暇はない。
彼らが自分の能力を発揮したい、と思う企画書を作ることが大切。
金を稼ごう
あと、付け加えておくと、サービスの本質としては
自分(あるいは会社)に金を生む
と言うのは価値でもなんでもない。
一方で、サービスの成功は
- サービスの生む価値が世の中に受け入れられること
- サービスが経済的な価値を生むこと
の両輪が揃ってはじめて成功と言えるものであり、どちらかではそのサービスの存続は難しい。
ただし、その順は必ず
- サービスの与える価値
- 価値に紐付いた適切なビジネスモデル
- 利益
となるべきで、利益のためにサービスの価値を歪めたり、合わないビジネスモデルを当てはめるためにサービスの価値を歪めることがあってはならない。
例えば上記に続いて某メッセンジャーサービスが、
「もっと儲けたいから、グループ会話機能は有料にしよう」
と決めて実行したとする。
するとどうなるか、明白である。
ここまで極端な例ならばさすがに分かることだが、サービスの運用フェーズにおいては、大なり小なり上記のような事態は発生する。
- 広告クライアントの意向に合わせてコンテンツの方針を変更
- PVを稼ぎたいために、1ページの内容を無駄に分割
- 広告に誘導したいから、メニューから主要な機能を落とす
などという分かりやすいものから、逆に
- 収益が悪化しているから、一部の本質的な機能のひとつを撤廃
なんていう収益をフックにして本質を見失う例は枚挙に暇がない。
収益をフックにするのはいい。ただし上記のような事態において、サービスの本質を変えずに収益構造を改善させられるかが、プロデューサーの仕事である。
数値を見よう・改善しよう
サービスが出来上がって運用が始まったあと、当然収支はもちろん、サービスの様々な数値を見ることになる。
マネージャーあるいはクライアントに報告しなければならないような定期的な数値の観測はディレクターにお願いするとして、プロデューサーはまた別の観点で数値を見るべきだ。
よくありがちな「PV」や「UU」といったデータはいろんな要素の集合体、最終形でしかなく、PVという数値に至るために様々な要素、確率が組み合わさって、PVを構成している。
プロデューサーは最終形の数値だけを見てサービスを把握しようとせず、その途中にある様々な要素、確率を注視することで、そのサービスがユーザーにどう使われているか、またそれは自分の定めた価値を提供できていると言えるのかを、考えなければならない。
最終形としての数値が大切なのではなく、サービスの本質に照らした時に何の数値が動くのか?(あるいは動くべきなのか)ということを考えて数値を観測しなければ全く意味がない。
例えば、同じ「1UU・10PV」でも
- 1人のユーザーが5回訪問して2ページずつ見た結果
- 1人のユーザーが2回訪問して5ページずつ見た結果
なのかで、ユーザーがどう動いているのかがまったく違うことは分かる。
どちらが正しいということではなく、自分の定めたサービスの本質、理想の使われ方に沿っているかが問題。
ユーザーに、何回も繰り返し来て欲しいのか、それとも1回訪問したらたくさんページを閲覧して欲しいのか(もちろん両方良好なら言うことはないが)、それを意識して自分の観測すべき数値を決め、サービスが想定通り使われているかを把握するのも、プロデューサーの仕事である。そしてもちろん、問題があれば改善を行う。
PVが想定より低いから改善を行うのではなく、PVが低い要因となる数値の動きが、本質に沿っていないから改善を行うのだということを失念してはならない。
決して上に言われた通りPV/UUを報告するのが仕事ではないし、最終数値だけを見て改善を行うのが仕事でもない。
チームに対して、ケツを持とう
あと最後にもう一つ、プロデューサーの大事な仕事は、責任を持つことである。
それは収益的な責任であったり、権限的な話であったりもするのだが、一番大事なことは「チームに対して責任を持つ」ということではないかと思う。
サービスの本質を決め、指針を示すわけであるから、当然その結果はプロデューサーが持つべきであるし、各担当者に押し付けるものではない。
プロデューサーは帰結すべき結果を示しつつ、各担当者が十二分に能力を発揮できるよう、各人のモチベーションを管理し、かつクオリティも高めていかなければならない。
よく聞く「今やってるこの仕事、コロコロ指示が変わって誰に聞いてもしっかりした答えが返ってこない」みたいな事態は、プロデューサーとして避けるべき事態の最たるものといえる。
まとめ
ということで、私の考えるプロデューサーの仕事とは
- サービスの本質=価値を決める
- 価値がどう発揮されるかを表すために企画書を作る
- 定めた本質を元に、各担当に指針を示す
- 本質に沿った収益化を考える
- 本質に沿った数値を観測し、改善を行う
- 責任を持つ
ということのようだ。
言うまでもなくこれは自分の経験と環境に基づく私見なので、環境や仕事の内容が変われば、いくらでも変わると思われる。
この話は直接ユーザーにサービスを提供するコンシューマサービスの話を基本としているが、クライアントがいて、クライアントのユーザーに対してサービスを行う受託やSIの場合なら、また話も違ってくるかも知れない。
変わらないとすれば、あらゆるサービスには核となる本質・価値があり、それをブレさせずにサービスを運用していく、という点か。
たまたま、こんな記事を見つけた。
ここでは、
そしてディレクターに聞くと一番大切なのが、
・最後はケツを持つだけの責任感
という言葉を聞く。
と書いておられる。ディレクターという仕事をちゃんと見つめなおして、ちゃんと評価しようという記事で、まったくもって大賛成なのだが、おそらく仕事の性質上、プロデューサーとディレクターが分離していないか、もしくはプロデューサーは別のマネージメント的なことをしていると思われる。
会社や仕事が違えば、各担当の果たすべき役割も変わってくるのだろう、という好例。
自分の由来3
なんとまさかの三部構成となった。
自分のことを垂れ流すだけでこの有り様。どうりでTwitterやFacebookに向いてないわけだ。自覚していたけど!
でもここからだけがいわゆる「IT」に関する話なので、この回だけで良かったじゃん、と思う。強く。
インターネットで遊ぶ
ロボット型検索が登場して以降、インターネットは「近所+ちょっと知らない人との遊び場」から、「大気圏内どこでも」くらいの規模感に変貌を遂げた。今まで自転車、せいぜい軽自動車で移動していた人間が、ある日突然「どこでもドア」を入手したようなものである。
また、回線事情も大幅に改善され、アナログ→ISDN→ADSLとバージョンアップされていき、当時は革命的だった「テレホタイム以外でも定額つなぎ放題」という夢の様な状況が訪れることにより、我々の興奮は頂点に達した。
とにかく、この面白い遊び場を使って何かしなければならない、という無駄な使命感に満ちていた(本当に無駄である)。
コミュニティサイト作ってみた
で、友人何人かといろいろサイトを作っては潰してみたり試行錯誤しているうちに、あることが分かってきた。
- 既にあるものより、今ないものの方が人が集まること
- 自分でコンテンツを作るには限界があること
- 人はネットでの交流に目覚めると中毒になり、やめられなくなること
- 当時の「アクセス解析」で見える「累積訪問者数」などはクソほども意味が無いこと
- ユーザーの思いは数字に現れるが、数字に現れない思いを汲み取るのは困難なこと
など。今の時代となってはいずれも当たり前のことで、取り立てて語るほどのことはないが、現代のようにいろんな解説を頭の良い方々がはてなブログに掲載してくれている時代ではなかった当時は、何もかも手探りであった。
で、立ち上げたのが趣味特化のコミュニティ系のサイトであった。今で言うSNSにあたると思うのだが、まだFacebookはおろかMixiも存在しなかった当時は、我々は自分たちの競合は「エキサイトフレンズ」だと思っていたのだからかわいいものである。
契約の都合もあるので名言は避けるが、我々の立ち上げた某コスプレコミュニティサイトはサービス開始以降そこそこのユーザーを抱え、なかなかに盛り上がったと自認している。
当時作ったサイト。一応モザイクをかけてみたが、丸わかりである。しかし、懐かしい。
良かった点を簡単にまとめておくと
1.当時まだアングラ的な趣味であった「コスプレ」というテーマが良かった
これは当たり前なのだが、今でこそコスプレは世間における認知度も高まり、コスプレを題材にしたサイト・サービスも多数存在しているが、当時はコスプレについては「ニーズはあるが、競合がいない」というド級のブルーオーシャンであった。また、初期のネットユーザー≒オタク層ということもあり、素地としては最高であった。
2.コミュニティ形式にしたことで、ユーザー同士が勝手に盛り上がってくれる
前述した通り、コンテンツを自分で作るのは非常に難しい。
そうではなく、ユーザー同士が互いのマイページを行き来し、掲示板やサービス内メールで交流することで、有り体に言えば「勝手にPVを稼いで」くれた。今ならばSNSの仕組みというものは当然そうであるし、当たり前のことなのだが、当時はなかなか斬新であった。
※もっとも、これも今では常識だが掲示板やメッセンジャーで発生するPVは当然収益性が低いわけで、後にこり大量のPVを持て余すことになる。
3.コスプレイヤーの最大のneedである「写真を見せたい」という欲求を機能で満たした
コスプレイヤーがインターネット上において最も興味のあること、それは当然ながら、他のコスプレイヤーとの交流である。そのためには当然、自分を表すものとして自分のコスプレ写真が必要となる。
4.登録コスプレイヤーにナンバーを付与してみたら、名刺やバナーを作って勝手にサイトを流布してくれた
単純に管理上の都合もあったのだが、コスプレイヤー一人ずつに専用のページが解説されるため、登録順にIDを振っていった。これを「○○○.ナンバー」と称してまるで会員番号のように見せ、さらにこれはURLの一部にもなっているため、この番号が分かればすぐにそのコスプレイヤーのページを確認することができた。
そのため、コスプレイヤーたちはイベント等でリアルに交流する場合にそれぞれ名刺のやりとりをして自己紹介をするのであるが、その名刺にこのナンバーを掲載するケースが増えた。コスプレイヤーからしてみれば、自分のホームページの長いURLを掲載するよりも、数桁のナンバーを掲載しておいたほうが、名刺を受け取った側が自分のページに接触する確率は飛躍的に高まるわけで、非常に利便性が高かった。
おかげで、我々のサービスは大きなプロモーションを打ったわけでもなく、口コミでユーザーを増やしていくことが出来た。
5.徹頭徹尾「ユーザーのためにやります」と言い続けてたら信じてもらえた
これも今では当たり前なのだが、アクセスログや目に見えるユーザーの言動だけを眺めていても、サービスの改善点は見えてこない。今でこそGoogle Analyticsのようなすさまじいツールはあるが、当時はそのようなものもなく、ログからはユーザーの要望は見えづらかった。
そんな中で、イベント等のリアルの場所ではもちろん、日々サービスの掲示板やチャット等でユーザーと接し、サービスへの気持ちと要望を聞き続けることで本当の改善が見えたし、ユーザーとの信頼関係も築くことが出来た。現代の大きなサービスともなると直接ユーザーと触れ合うことは難しいのは言うまでもないが、やはりコンシューマサービスにおいては「答えはユーザーにしかない」のであって、声を聞く努力は怠ってはならないと肝に銘じなければならない。
逆に悪い点も当然あって、
- 写真を無尽蔵にアップできるので、設備担当のメンバーが毎日死んだ
- イベントやってみたけど、続かなかった
- 友達と大きな仕事をするのは難しい
- とにかく、ビジネスモデルがなかった
などなど、特にビジネスモデルのなさは深刻で、これがあると当然のことながらサービスを続けるのは困難を極める。これも今では考えられない話だが、当時はまだCPC型の広告というのはGoogle様のAdsenseが始まったばかりくらいで、ロクなものはなかった。
インターネットにおける広告といったら、代理店を通じてimpsを切り売りする、純広告しかなかったのである(寒気がする)。
当然本業の片手間でやってる我々に営業を行う余力はなく、それでもコスプレ業界の数少ない業者にバナーを買ってもらったり、イベントなどリアル進出で儲けられないか試してみたり、サイト自体の有料化を検討してみたりなど試行錯誤を繰り返すも、当時はPVばかりな巨大なコミュニティサイトを片手間にビジネス化する手段はなかなかなかった。
結局某ポータル社に売却してしまうわけであるが、これをキッカケにネットサービスにおいてはビジネスモデルの存在を強く意識しなければダメ、と自戒の念を新たにすることになる(すぐ忘れるけど)。
で、こんなことを繰り返しながら本業でもIT業界に身を置くことにしまして、今に至る。
本業のことはつまらないから割愛。気が向いたら書きます。
自分の由来2
思ったより長くなったので、二回に分かれることになった。
さすが、圧倒的な文才のなさが光る。
インターネットさま
ついに我々クソオタ達の元にも、インターネットがやってきた。当然元々存在は知っていたものの、実家暮らしの身ではインターネットを始めるためのNTT様への申し込みやお支払いが自力で完結できるわけもなく、かと言って当時隆盛だったダイヤルQ2を利用したプロバイダ(今考えたら、ホラーである)を使いまくるわけにもいかず、さらにモデムは高いわで(ルーターではない、モデムである)導入の障壁は高かった。
NTT様の「テレホーダイ」が登場するまで、我々の間に普及しなかったのは当然の帰結である。
当初、インターネットは
- 個人が「ホームページをつくる」
- それを見に知り合いが数人集まって「ほうほう」言う
- 「掲示板(かっこよく「BBS」と呼んでもよい)」に集まってたわごとを書き込む
- テレホタイムになると「チャット」に集まって「荒らし」と戦う
という行為をするためのものであり、かつてのパソコン通信とやってることは同じ、ただし画像が出て感動(特にアダルト画像)、くらいのものであった。
また、自分のホームページを人に知ってもらうには
- Yahoo様のディレクトリ検索に掲載を申請して掲載を祈る
- 長ったらしいURLを(なぜか必ず「~」が付いている。しかも当時"チルダ"と読めない)紙に書いて教える
- 素敵なホームページ様に「相互リンク」を貼ってもらう
という手段が主であった。
逆転の発想として、ホームページのデータをFDに詰め込み、それを手渡しで渡すなんてことあった。まあ、本末転倒である。
冗談でなく、ホームページで一番更新に力を入れたのは「LINK」コーナーであったし、皆ここを見まくった。ひどい時になると、更新の早いホームページのlink.htmlをブックマークに並べているような時代だった。
当然、ホームページはあくまで個人の便利な発信基地でしかなく、そこで発生する交流はよく言って運任せ程度のものでしかなかった。
ただ、以前は自分の情報発信をしようと思ったら苦心して出版物を出すか、じゃマールにハガキを出すかしかなかった旧人類にとって、プロバイダ様のお力さえあれば勝手に、誰でも見られる場所に何か書き殴っておけるというのは大変に革命的であった。
友達のHPに集まるのは、深夜にファミレスに集まるのと変わらなかった。
ひどい時は、HPのチャットで「面倒だから今からファミレス」と書き込まれた。
検索が革命をもたらした(俺に)
前述した通り、他人の書き殴ったたわごと(と、貴重で素晴らしいリンク集)を閲覧するためには運次第だった時代が、「検索」によって一変する。
もちろんYahoo様にも検索機能はあったのだが、今のものとはずいぶん異なる。※体験してみたければここで「ネトゲ」とでも検索してみるとよい。最高の検索結果が得られるはずだ。
ここでいう検索はかつての「ディレクトリ型」検索ではなく、いわゆる機械的にランキング付けされた「ロボット型検索」のことである。
これが登場することによって、思いついたキーワード(あるいはエロワード)ひとつで簡単に、関連するサイトが発見できるようになった。
運任せ、が実力次第、くらいまで昇華したわけである。
文通→ナンパ
くらいのレベルアップだろうか。(文通も実力次第だろうか?よく分からない)
これによって、新しい情報に触れられる機会は飛躍的に高まり、また当然それは閲覧側だけではなく、発信側も同様であり、コンテンツの爆発的な増殖・拡大が始まったように感じたものである。
やっぱ最初はgoo使ってた。以来、Yahooは見もしなくなった。
Googleはもう少しだけ後。
また、重要なこととしては前回書いた通り、これまで生活(我輩の)に革命を与えてきたのは金銭を媒介としたという意味での「ハード」であったわけだが、インターネットにおいてコンテンツ・サービスが飛躍的に拡大し、ここに「広告」というビジネスモデルが付随することによって、ユーザーから見ると金銭によって左右されない、真の意味での「ソフト」による生活の革新が行われることになったという点である。
これ以降がいわゆる「IT革命」の始まりということで、それほど異論はないところかと思われる。
自分の由来1
現在の自分の由来について、まとめておく。
これは当然発生する「お前ごときが何を言ってやがる」と言う批判に対する予防であり、ここでしょっぱい経験を晒しておくことで、上記の批判に対して「仰る通りで、返す言葉もございませんのでほっといてください」という泣き言を堂々とほざくための投稿となります。
PCとのかかわり
PCに触れたのは小学4年生頃、ざっくり今から30年くらい前。隣に住んでいたおじさんに、NECのPCに触らせてもらい、BASICやパソコン通信(当時は音響カプラを使ってた)を教えてもらったのが原初。
その後親にねだってPC-8801mkⅡSRを手に入れて、後はお決まりのギーク少年コース。
ただし、当時は自作プログラミングを飽きもせず繰り返したり、アスキーネットで大人たちの意味の分からない口論を眺めたり程度のものであり(あと、ひたすらゲーム)、まさかPCが実際の生活に影響を与えるとは思わず、漠然と過ごす。
なんと今では考えられないが、当時はPCに「ワープロ」というものがなく(現クレオの「ユーカラ」など存在したが、実用に耐えるレベルではなかった)、またPC本体も高価だがプリンターはそれ以上に高価、ということもあり、PCでの文書作成などは到底考えられなかった。
オタク少年のひとりとして自作の小説執筆に勤しんでいた身としては、PCよりもワープロ専用機の発達の方に心を踊らせる始末であった。
オタク趣味
受験が終わった文系の学生といえばとにかく暇なものであり、元からオタク気質だった自分は当然のようにオタク活動に精を出す。
その最たるものがコミケでの「同人誌の出版」であったのだが、同人誌の制作というやつは非常にキツい。絵を描いて、ハサミと糊を使ってページを構成し、印刷にかけて・・・とひたすらアナログ。コミケ前日くらいになると、自分の部屋の床は紙の切りカスと書きなぐられた落書きとスクリーントーンのカスで足の踏み場もなくなっていく。(実際、原稿が仕上がった後の風呂には、身体のどこかから剥がれ落ちたトーンのカスが大量に浮く)
そこで出会ったのがDTPであった。
これはもう、衝撃的。AdobeのIllustratorで下絵やロゴを描いたり、スキャナで取り込んだものをPhotoshopで仕上げて、出来たものからQuarkXPressで構成していく。もうちょっと時代が進むと、できた原稿をMOディスクに突っ込んで、そのまま印刷所に送付。これで終わり。
革命的であった。部屋中を紙とゴミ(同義)まみれにして力づくで作っていたものが、すべて画面の中だけで解決するのである。これは痺れた。
ただし、これが実現できるのは当時上記3つのアプリが揃っていたMacintoshだけであり、我々の愛するエロゲー専用機であるところのPC-98ならびにWindows3.1マシンはクソの役にも立たないのであった。
まだ「インターネットは存在しない」。
我々にITによる生活革新を教え込んだのは、「マイコン」であり、「ワープロ専用機」であり、「アプリケーション」であった。
アプリは広範に言えば当然ソフトウェアであるが、金で買わなければ使えない、という点においては貧乏学生からすればハードと変わらない。
現代のように無料のウェブサービスが世に溢れ、自分の生活に恩恵を与えてくれることなどはなかった。あくまで、金と引き換えに幾ばくかの、今となっては馬鹿馬鹿しい程度の便利さを入手するしかなかった。
我々はハードの恩恵を受けて育った。
ブログ開設してみました。
お疲れさまです、sakurazです。
自分のサイトを持ってつらつらと何かしら書くのは、おそらくおよそ10年ぶりくらいです。
なんでブログ?
もちろん、Facebookでも投稿できない訳ではないんですが、あるじゃないですか、Facebookでは投稿に向いてない内容とか。
・どストレートな愚痴
・どストレートな何かのこき下ろし
・ドヤ顔で語るクソ自説
・微妙に理解されなさそうなネタのシェア
...etc
このあたりは、やはりFBでリア充のふりをするためには投稿できないわけですね。
投稿のたびに投稿先をカスタマイズするのも面倒ですし・・・なにより、SNSへの投稿って「読んでくれ!」感が強い気がするので、読みたいときに自己責任で読んでね、ってなイメージのブログでいいかなと思った次第です。
なぜはてブロ?
正直に言ってブログサービスを使ってブログを書くのはほぼ初めてなので(!)、どこでも良かったんですが、
・デザインが比較的シンプル
・いままではてなのサービスを使ったことないので、試しに
って感じです。もっといいとこあったら教えて下さい。
→実は当初Bloggerを使ってみたんですが、あまりの遅さに断念...
あと、スマホでいろいろするためのアプリがあまりにダメダメ。
無料でも広告がなしだったり、サブドメインを自由に変えたりできるのは良かったんですが。
なに書くの?
以前は厨二っぽく日記など書いていましたが、前述のとおり今は
・リア充ドヤ日記はFacebook
・犯罪告白やメンヘラ発言はTwitter
・会社の愚痴は居酒屋
と、それぞれ役割分担が進みましたので、このブログでは主にIT業界(この言い方自体、なんか他の言い方ないですかね)に身を置いている者として、業界や仕事に関する雑感などを書ければと思っています。
よろしくお願いします。